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 2004年3月17日(水)、成田、関西両空港を発った台湾総統選挙視察研修会の先遣隊一行は、総統選挙を20日に控えた台湾に到着。与党民進党の台北市競選総部、連宋全国競選総部両陣営に足を運んだ後、台北市内の宿泊予定地・環亜大飯店で翌日以降のスケジュール調整等のミーティングを行った。
翌18日(木)、成田、関西両空港を出発した視察研修会の本隊一行と、先入りしていたメンバーはホテルで合流した後、台北の街に繰り出し、タクシー運転手や店の売り子、屋台の店主ら台北市民を相手に、去る2月4日に立候補の届け出を行った順に掲載された番号(1=陳呂支援、2=連宋支援)をもとに手話によるアンケート等を行った。また、流暢な日本語を駆使しながら、1を支援する理由の正当性を訴える今回の現地コーディネーター鄭力旗氏や、同氏の上司にあたる張幹男氏の悲壮感さえ漂う説話に触れる。その夜は、日本在住の華僑による総統選挙晩餐会に参加。彼らの大方の支持は2で、戦況は全く予断が許されない状況。
翌19日(金)午前、李鴻均立法委員(国会議員)を表敬訪問し、2=「連戦氏こそ真の着実で穏健な指導者である」との見解を伺ったその日の午後、台北市内に、いや全世界に衝撃が広がった。総統選挙を目前に台南で選挙活動を行なっていた陳総統、呂副総統が演説中に何者かの襲撃を受け負傷、病院に運ばれたとの報が流れたのだ。対立候補の連戦・国民党主席はその報を受け、当会視察団も参加を予定していた大決起集会の即刻中止を発表。予定を変更し、対立陣営の集会を視察する為、中正祈念堂から車で約10分のサッカースタジアムに駆けつけた我々を待っていたのは、やはり陳呂陣営も同集会を中止するという主催者の演説であった。まるで波乱の前兆のように、スタジアムを出た直後から街中が重い空気に包まれる。
  
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