池畑 浩太朗さん

大西会長を知ったきっかけ(紹介者)
大西信弥会長と出会ってしまったのは。。。ではなく、大切なご縁をいただきましたのは2005年3月に友人の紹介でご縁を頂きました。当日は岡山より車で宝塚に行かせて頂きました。この日をきっかけに大西会長のお導きにより、宝塚にはその後、家族で住まいすることになり、また、人生の転機を迎える事になる事など、その当時は知る由もありませんでした。
当時、私は岡山県にて県立農業高校のとして教員10年目になろうとする所でした。
宝塚ワシントンホテルの喫茶店にて大西会長を目の前にし、自己紹介をと言われ、農業について、自分の今までの仕事について、これからの思いについて話をさせていただきました。大西会長はゆっくりと聞いてくださった後、なんとも迫力のある眼差しで色々とお話頂きました。また、その間、本当に私のことを見透かされているような感じであったことが印象深く感じられました。朝方、自宅についても頭から離れない会長の話を妻としました。それから2日後に大西会長はご夫婦と愛犬を伴い岡山県倉敷の自宅に来て下さいました。その日はゆっくりと私ども夫婦で話をさせていただき、何故か妻を褒めてくださり、私の事は興味が薄れられていくのが手に取るように分かりました。
会長の想いや生い立ちをじっくりと聞かせていただく貴重な時間となりました。
自身にとっての大西会長とは(被害者度)
それから志信会の活動に賛同し、九州から東京と多くの勉強をさせて頂きました。教員の世界だけでは到底感じ得ない生きた勉強を本当にさせていただきました。そんな折、大西会長との最初の出会いから8ヵ月後の2005年11月に大西会長から、衆議院議員の秘書になって自分の道を磨いてはとのお話を頂きました。
岡山でも衆議院出馬要請を受けた事がございましたが、いろいろな判断から今は早いと自分で決断を鈍らせていました。しかし大西会長からのお話には、即断させていただきました。妻と子供2人を抱えていましたし、宝塚には何のご縁もありませんでしたが、会長からのお話ならばと妙な安心感がありました。早速、高校の教員を同年12月には辞し秘書道に入ることとなりました。この直後、秘書になることでの人生の転機ではなく、人として大きく気づかせていただいた事が人生の転機だったのだと今は感じております。
3年半の衆議院議員秘書時代の間には正式には2度辞めます。と会長に相談したことを今は懐かしく思い出されます。今思えば「辞めてもいいんじゃないの」の一言になぜか、もう少し頑張ろうと励まされたものです。
2009年の6月に突然の県議会議員補欠出馬要請には、私自身がまだまだ、不出来と固辞していました所、背中を押して下さいましたのも大西会長ご夫妻でございました。
選挙初日で無投票当選となりました。当日代議士の出陣式にあたる言葉を聞きながらこれからはしっかりと連携しながらも自ら歩いて行かなければならないと感じました。その出会いをいただきました会長に感謝し、まだまだこれから研鑽を積みしっかりと取り組んでまいります。以前、志信会の「大西会長との出会い」での末文は「自分自身が成長し、人として真直ぐ生きることが大西会長に恩返しと考えています。」でした。その気持ちは当然変わりません。また、家族を満足に生活させてやれない人間が、何が国家かと最近大きく感じます。
しっかりと自分の家族を支えつつもう一つの家族「大西会長・志信会」とともにこれからの人生を一歩一歩楽しく歩んでまいりたいと思います。